診察
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皆様ご機嫌いかがですか
わたしは元気です
何から話そう。。
えー、単刀直入に言うと、私、発達障害の診察を受けようと思っています。
日にちも決まっていませんし、お医者さんに相談へもまだ行っていません。
(近々クリニックに行って相談した後予約をしようと考えています)
ここのブログ、お友達や知人には一切公表しておりませんので、だからこそ言えることもあるんですね。
あ、かと言って隠しているわけでもないんです(汗)
なぜ、こんな決断をしたかと言いますと、昔から自分という人間に漠然とした違和感を持っていたからです
ごめんなさい、独り言のようなブログなので自分の心の整理も兼ねて、自分語りを始めます。。
少々お時間を拝借いただきますゆえ、読み進めるか否かは読者様におまかせいたしますので、、お願いします。
きっかけは、18歳のとき生まれて初めて親元を離れ独り暮らしをし、アルバイトをしたときのことでした。
何というか、指導者の方の説明が全然理解できなかったんです。
いえ、言語的な理解はできていたのですが、行動まで起こすことへのイメージが沸かないというか、もう、「わからない」なんですよ。
まぁ、これに関しては初めてのアルバイトでしたし、私側の努力不足という点も大きかったのですが。。
指導してくださる方も(すごく説明上手な方でした)ずっと首を傾げて、いろいろな方法で伝えてくださったのですが。。
結果2年間続けたアルバイトも、レジ閉めすら覚えられずに学校卒業と同時に終止符を打ったのでした。。
卒業後も就活がうまく行かず、フリーターをしていました
しかしそこでも出来ない、わからないの繰り返し。
具体的には?と言いますと、今にして思えばですが
報連相、臨機応変、説明、理解、優先順位、時間配分その他諸々。。
ありすぎて具体的ですらないですね。。
で、私はあることを思いついたんです。
これだけ苦手なことが多いなら、敢えて逃げ場のない場所に自分を追い込んで、克服したい、と。。
そこで医療関係の国家資格がほしいと思って、そこからさらに看護に的を絞り、無事に資格を取得したのでした
私が看護の資格をとった理由の1つがこれです
他の理由はまたいずれか。。
と、取得したのは良いのですが、これも周りの環境と運が良かったおかげで取れたものでして、前述した短所はちっとも治らずでした。
当たり前ですよね。カリキュラムに沿ってやっていっても、自分のこととして消化できていないのですから。これも考えの甘さが大きいとも思います。
仕事に就いてもやはり治らずひとつひとつの失敗について、何故このタイミングでこの状況でこの行動を取ったか、ひとつひとつあぶり出してみるのですが、追いつかない追いつけない。
気づけば3年半。
同期と比べてできないことばかり増えていく、後輩にどんどん先を越され、いつかできるようになることを願い、開き直るもそれにも疲れ、職を離れたのでした。
本当に必要なことしか書いていませんね。。
具体性がないので共感してもらえないかもしれません。すみません。なのにこの長文って。。
そこから1年間自分のために時間とお金を好きなように使いました(ニートってやつです)
このブログを始めたのもちょうどその時期。。
休職中、姉の家事育児を手伝う中、働くお母さんの役に立つ仕事がしたいと思い、今の保育現場に務めるようになったんです。
今の仕事は、緊急性もさほど高くないし、背負っている責任も前職ほどは(あくまで比較的)高くなく、対象者ちゃんの生命に直結もしないことが多いし、医療行為もほぼない(あっても投薬程度←それも怖いですけどね)という状況です。
そして自分自身の違和感についても上司、先輩に報告してあるので、今の所働きやすい職場で働かせていただいているんです
だからこそ、発達障害の診察を受けたいと思ったんです
でもそれは教科書上の知識で、具体的なイメージはわかず、ぼんやりとした認識でした。
ピンときたのは看護の仕事を始めてから。
YouTubeで世界仰天ニュースより、空気のわからない女性というタイトルの動画を観たときでした
動画の主人公はいつも人とずれていて、注意が散漫しやすく、忘れ物や遅刻が多い、そんな女性でした。
重症度はここまでではないけれど、何だかわかる。
これが率直な感想でした。
更に浮かんだのが、私程度でもこんなに大変なのに、この人はどんなに辛かったのだろう。
とか、でもこの人は、この不安に名前をつけてもらえたんだ。
とか、けどそれはこの人が、これほど苦しんだのだから報われたんだ、などの感情でした。
病棟で務めているときはただただ忙しく、自分を分析する気力もない状態でした。
しかし病棟をやめて、あらためて考えると、極軽度の発達障害か何かに当てはまるのではないか、という考えになってきいました。
子供の頃から言われてきた「変わってる」「宇宙人みたい」「なんでできないの?」「みんなと同じようにすればいいんだよ?」そう言えば、あれもこれもと思い当たる節々。浮かぶ浮かぶ。
でも、「診断書が欲しい、安心したい」「けれどこれでもし発達障害じゃ無かったら、ただの努力不足を叩きつけられる気がする」「今更診断してもらおうにも1年位かかる」「ならいっそ自称発達障害疑惑というアイデンティティで生きたほうが楽か。。」という考えで落ち着いていたんです。
でもね、今の職場にいると、「発達障害じゃ無いと診断されても、心折れずに生きられるのではないか」「発達障害で悩んでいる子やその親御さんってたくさんいらっしゃるのね」「もし診断が出なくても、検診を受けたという経験が、何かの役に立つかも」そんな考えに繋がっていったんです。
それでやっと冒頭の「発達障害の診察を受けたいと思う」に繋がるんですね。
長い長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
もしかしたらこれを読んでお気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれません。
疑問を持たれる方、甘いなという感想を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
だって自分でも思うことがあるんです。
「発達障害を疑う割には国家資格とれたんだよなぁ」「そもそもひとり暮らしもできてるしなぁ」「事例と比べて共通点もあるけど、違うところもあるし。。」「レベルの高いところにいすぎてわからなくなってる?」「もし発達障害と違ったら、本当に診察が必要な人の診察待ち時間を伸ばしてしまう。。」
けれど、自分をもっと客観視したい、自分の今の素直な気持ちをどこかに記しておきたいと思い、ここに記載いたします。
もしかしたら将来の自分がこれを読んだとき、「甘いなー」とか、「努力不足なのに恥ずかしいなー」「子供だったなー」と笑っているかもしれません。赤面しているかもしれません。この文章を削除するかもしれません。
それはまた、その時のお話。
長文駄文を記してしまい、すみませんでした。
それでは皆様ごきげんよう。